高槻RCの沿革と歴史

 

1954年
6月15日
大阪ロータリークラブのスポンサーにより創立総会開催。
1954年
7月6日
RI本部より承認され、国際ロータリー第61区所属となる。
1955年
5月10日
湯浅学園高校に於いて認証状伝達式挙行。
1955年
7月1日
地区変更により、国際ロータリー第356区所属となる。
1959年
9月19日
当クラブがホストとなり、大阪府北部・奈良県地区ICGFを日本専売公社茨木工場にて挙行。
1959年
12月23日
当クラブのスポンサーにより、茨木ロータリークラブ創立、公式加盟認証さる。
1960年
2月25日
国際ロータリー創立記念事業として、クラブ例会場構内に「高山右近天主教会堂の跡」の記念碑の除幕式を行う。
1960年
11月11日
北摂5RC連絡会発足、協議会に発展。
1961年
4月3日
当クラブのスポンサーにより、枚方ロータリークラブ創立、公式加盟認証さる。
1961年
4月24日
当クラブ並びに大阪ロータリークラブのスポンサーにより、守ロロータリークラブ創立、公式加盟認証さる。
創立まもない家族定例会
1959年9月17日
ICGFホストを初めて行いました。
(日本専売公社茨木工場)
『勉強の10年だった』
 創立からの10年間は正に「ロータリーの勉強」の期間であったと思われます。第10代柴田忠会長は次のように述壊されています。
「10年前、大阪・京都の間を結ぶ唯一のロータリークラブとして、田園都市にふさわしい高槻クラブが発足した。大阪クラブからご指導を受けたものの、全くロータリーを知らない会員のクラブは何かと頼りない不安がありました…。昭和34年に茨木をホストし、昭和36年には小島秋君を特別代表として枚方RCを、又、田宮佐君を特別代表として守口RCの創設の大役を果たし、輝かしい歴史を築き上げた」と。
諸先輩のご努力の跡が10周年記念誌を通じて、ひしひしと感じるものがありました。
1960年4月30日
我がクラブから分かれて茨木RC誕生。
吹田・豊中RCとの合同チャーター伝達式。
1960年10月8日
第365地区年次大会に出席。
(大津市滋賀会館)
『バナーの図案づくり』
 我がクラブのバナーは4度の制作変遷がありますが、最初のバナーは『ロータリー のマーク』に『TAKATSUKI』とのみ描かれたシンプルなものでした。次に「高山右 近の陣羽織りに右近の定紋を配し、高槻の『高』を図案化した」バナーとなりました が、そのバナーには旗の下に『総』のついた立派なものでした。三度目は右近の定 紋は『丸に十の字』ではなく『七つの丸印』であるとの時代考証があり、『十の字』 から『丸印が七つ』になりました。四度目は『TAKATSUKI・JAPAN』とだけ描かれ ていたのを『OSAKA』という字が『JAPAN』の上に小さく入り、現在のバナーの姿 となりました。
1964年
7月25日
創立10周年記念式典を行う。
1969年
10月18日
第365地区I.C.G.Fを高槻市民会館にて挙行。
1970年
7月1日
地区変更により、国際ロータリー第366区所属となる。
1972年
3月4日~5日
当クラブがホストとなりく国際ロータリー第366区年次大会を高槻市民会館にて開催さる。
1973年
4月19日
当クラブのスポンサーにより、高槻東ロータリークラブ創立、公式加盟認証さる。
1973年
6月2日~3日
当クラブがホストとなり、国際ロータリー第366区地区協議会を新大阪ホテルにて開催さる。
1973~1974年度
田宮佐会員ガバナー就任。
 創立からの10年間が「ロータリーの勉強」の時代だとすれば、以後10年の20年までは成人式までの「発展の道」を歩んできたと言えます。
特筆すべきことは創立20周年の年に、田宮佐会員の第365地区のガバナー就任であり、高槻クラブは地区の代表的クラブとして認められたことです。
又、低迷していた出席率が100%連続3年間の快挙を達成したことでもあります。この記録は全メンバーが健康でかつ、「奉仕こそ我がつとめ」というロータリー精神に徹しての努力に他ならないと、第14代星野成治会長が述壊されています。第17代松本三郎会長の時、万国博会場で記念すべき例会をホストしたこともありました。地区大会が開催されホストしたのも、この間の事業でした。
1969年10月
2度目のICGFのホストを行いました。
(高槻市民会館)
1974年5月1日
我がクラブは1000回例会を迎えました。
『記録の更新開始』
10周年を経過し、順調に発展を続けたこの間の会員数の推移を見ると、11周年では45名の会員が、この10年間で実に19名の実増があり、64名で21年目を迎えることとなりました。因に、この10年間の入会者数は85名で退会者数は66名と過去最高を記録しています。当時の最年少者は34才、最年長者は77才で平均54才でした。20周年の記念事業としては、西森正昭会員の制作によるブロンズ像「母子像」を高槻市に寄贈しましたが、その設置をめぐって長期間設置されなかった経緯がありました。又、1972年3月、地区年次大会が高槻にて開催され、田宮会員が366地区ガバナーとして選出されました。その後ガバナーとして地区に大きな功績を残されました。

『新規事業』
この10年間は新しい事業が次々と展開され、市内での高槻ロータリークラブ に対する認識が向上し、先輩諸兄の努力の形跡が忍ばれます。奨学金制度を独自に創設し、以後10年間続いたこともそのひとつであり、高槻市の「花い っぱい運動」に参加、植樹・草花を贈りました。
1974年
6月1日
創立20周年記念式典を行う。
1980年
12月3日
創立20周年記念像除幕式挙行。
1974年
11月20日
当クラブの例会場並びに事務局を、高槻商工会議所より西武タカツキショッピングセンターに移転す。
1976年
3月26日
当クラブがホストとなり、第9組I.C.GFを関電ホールにて挙行。
1977年
7月1日
地区変更により、国際ロータリー第266区所属となる。
1979年
4月25日
当クラブのスポンサーにより、高槻ローターアクトクラブ創立、公式加盟認証さる。
1979年
6月20日
創立25周年記念式典を行う。
『ロータリー創立75周年』
1980年2月23日は、国際ロータリー75周年に当たり『無知・病気・飢餓』などの人間社会に暗い面にも光をもたらす奉仕3Hプログラムが開始された時期でもあります。我がクラブと高槻東クラブ及び高槻ローターアクトクラブの合同で『ロータリー創立75周年記念事業』として、西武百貨店の協賛をえて『ロータリー事業』のパネル展を実施しました。そして、創立からの10年間が「ロータリーの勉強」の時代であれば、20年までは成人式まで の「発展の道」であり、次の10年までの30年間は「事業・親睦ともに充実」の年代でした。
世界のロータリアンが東京で開催された『世界大会』に、過去最高の人出であったと報告されています。日本ロータリーもいよいよ世界に馳せる『世界のロータリー』として注目を集めた年でもありました。
『例会場変更に異義』
 高槻ロータリーは創立以来、毎週木曜日が例会日でしたが、移転先の「西武百貨店」は当時、木曜日が定休日であるため止むを得ず例会日の変更に迫られ、そこで茨木ロータリーがストップを掛けました。茨木は水曜日が例会であるため、水曜日に変更しようとする我がクラブにクレームをつけ、更に、例会日を水曜日に変更するなら会員を辞退するという会員も現れました。結局「西武百貨店」は開店3日前に火災が発生し、移転は1年越しとなりクレーム騒ぎは一段落致しました。
『市内4クラブ懇親会』
 高槻市内には当時、我々の2ロータリークラブの他に高槻ライオンズクラブと高槻青年会議所の4クラブがあり、同じ「社会への奉仕団体」として活躍しながら、話し合うことも無く過ぎていたことに我がクラブの上田会長によって提唱され『4クラブ合同の懇親会』が初めて開催されました。その後、持ち回りのホストで年1回の開催が続きましたが、現在ではロータリー3・ライオンズ3・青年会議所・ワイズメンズクラブの「8クラブ」となり、最近では余り開催していません。できれば、大いに開催したいものです。
1984年
6月15日
創立30周年記念式典を行う。
1984年
10月27日
当クラブがホストとなり、第2組IGFを大同生命ホールで挙行。
1985年
5月12日
高槻ローターアクトクラブがホストとなり、年次大会を高槻市民会館で挙行。
1989年
6月10日
創立35周年記念式典を行う。
高槻ローターアクトクラブ10周年記念式典を行う。
1989年
6月27日
高槻東RCがホストクラブとなり高槻西ロータリークラブ創立、公式加盟認証さる。
1991年
7月1日
地区番号変更により国際ロータリー第2660区所属となる。
敬老の日を記念して、越野会長(当時)と高齢メンバーの方々。 1984~85 第266地区 第2組
インターシティゼネラルフォーラムが行われました。
『盛大だった周年事業』
我々のクラブも創立40周年を迎えるキャリアのクラブとなりつつありますが、過去を振り返ると、力の限り尽くされた歴史と伝統に培われた実績は、これから将来への大きなプレゼントであると同時に50周年に向けてのプレッシャーとの戦いでもあります。
10年前の創立30周年記念、最近挙行された創立40周年記念事業も共に盛大かつ有意義に展開され、高槻クラブ独自の基金制度を創設されるま でになったことは自他共に認める快挙であり、今後地域への新たな奉仕活動に期待が寄せられています。
『親睦の実いよいよ』
  常に新会長は就任に当たって「親睦こそ奉仕の原点」だと強調され、現在を迎えていますが、会員71名の中で会長経験者が22名 おられるクラブも、そうざらにはありません。従って、会長経験者は会員相互の親睦に当たって良きアドバイザーとなられて、和やかな例 会が続いている事は同慶にたえないところですが、いろいろな会合にご家族の参加がちょっと少ない事が気にかかっておられる方も 多いことでしょう。40周年を機にこれからは一層、親睦に実をあげ楽しい「人とのかかわり」を進めてまいりたいところでもあります。
1994年
6月25日
たかつき京都ホテルに於いて創立40周年記念式典を行う。
高槻ロータリークラブ福祉文化基金発足。
1994年
7月20日
第2000回記念例会を行う。
1995年
2月25日
当クラブがホストとなり、第2組IGFをオオサカサンパレスで挙行。
1995年
11月22日
たかつき京都ホテルにて第一回高槻RC福祉文化基金贈呈式並びに表彰を行う。
高槻ロータリークラブ福祉文化基金発足。
1999年
3月27日
たかつき京都ホテルにて創立45周年高槻RAC創立25周年合同記念例会を行う。
2000年
8月4日
~6日
当クラブのホストにより地区「少年少女ニコニコキャンプ」を大阪府立青少年野外活動センターで開催。
創立40周年記念事業の発表。 1998年6月
高槻ロータリークラブ創立45周年、高槻ローターアクトクラブ創立20周年記念例会。
『高槻RC福祉文化基金の創設』
創立40周年記念を契機として、30周年時から積み立てられてきた高槻ロータリー基金2,000万円を基に地域の文化、教育、スポーツ、福祉、芸術等の各分野の振興を顕彰する目的で高槻RC福祉文化基金制度が創設され、50周年までの10年間、毎年各団体、個人を申請による選考を実施。これを表彰するとともに、賞状並びに金一封の贈呈を行ってきました。
『仕切り直して、新しく活力あるクラブを目指す』
日本経済の成長にもかげりがみられ、日本のみならず国際的にもロータリークラブの会員の減少がみられた10年でした。高槻RCも例外ではなく、1994年70名であった会員数が2003年12月現在54名と減少し、2001年以来、RACの例会も休会となっております。古い懐かしい会員がおられなくなる一方、若い有能な新しい会員が入会され、クラブの若返りの時期でもあったと思います。
地区の事業として、当クラブがIMとニコニコキャンプをお世話させて頂きました。一致団結好評のうちに終了致しました。
今後は長い伝統の良さを残しながら、活力ある新しい若々しいロータリーを目指して皆で努力してゆく決意です。

2004年
6月19日
現代劇場・たかつき京都ホテルに於いて、創立50周年記念祝賀会・講演・コンサートを行う。
夢・未来・プロジェクト発足
2004年
6月23日
西武高槻S/C6Fバンケットルームにて第九回高槻RC福祉文化基金贈呈式並びに表彰を行う。
高槻ロータリークラブ福祉文化基金終了。
2005年
5月8日
RI100周年記念事業「手話対応100福祉講演会」開催。
2005年
8月15日
オーストラリアツウーンバ東RCとTWIN CLUB AGREEMENTの正式調印
2005年
8月~
以下の如く高槻RC創立50周年記念(夢未来プロジェクト)事業が実施された。
1 国際人を育てる。
市内中学生英語弁論大会優秀者を年3名ずつオーストラリアトゥーンバ市へのホームステイ派遣(平成17年、18年、19年、20年)
2次代を担う教育の重み。
21世紀に生きる青少年の夢を育み個性を育てる教育とは
(高槻ロータリークラブ寄附講座) 主催 高槻市教育委員会

日付
テーマ
現職
講師
06.3.11 子供は誉めて育てよう 群馬県立女子大学長 富岡賢治氏
07.3.10 いじめを考える 国立教育政策研究所
総括研究員
滝充氏
08.3.21 学力を育てる 大阪大学大学院
人間科学研究科教授
志水宏吉氏
09.2.27 活用力を育てる 広島大学大学院
教育学研究科教授
角屋重樹氏

3 理念国家への躍進、日本人の理念を考える。
-国民意識の醸成-

日付
テーマ
現職
講師
06.5.13 なぜ日本は謝り続けるのか
アジア諸国と日本外交
台湾総統府
国策顧問評論家
金美齢氏
07.6.23 国益と理念
ニッポン再生 明日への選択
日本政策研究センター
所長
伊藤哲夫氏
08.6.21 これからの日本、その指針を考える
歴史と文明から 日本再生の道
京都大学大学院
教授
中西輝政氏
09.6.13 没落と躍進 その別れ道
今、日本が直面する内外の課題
評論家 櫻井よし子氏
2006年
2月25日
2660地区第2組IMを当クラブホストで開催
於:ホテル阪急エキスポパーク
2006年
3月11日
夢・未来プロジェクト委員会事業
講演会 「21世紀に生きる青少年の夢を育み個性を育てる教育とは」開催
2006年
5月13日
夢・未来プロジェクト委員会事業
講演会 「国益を考える-国民意識の醸成-」開催
2006年
6月
RI会長賞受賞
2006年
8月5日
~12日
高槻市内中学生英語弁論大会
優秀者上位3名オーストラリアヘホームスティ招待。(第2回)
2006~2007年度 岩井祐造会員
2660地区第2組ガバナー補佐就任
2007年
7月
CLPを導入。クラブ運営、会員組織、職業奉仕、社会奉仕、国際奉仕の五つの常任委員会でスタート。
これにあわせて、諸改革を実施し始めた。
2007~2008年度 青少年なかでも幼児の文字教育が取り上げられ、例会時に専門家の肥田 みよ子氏に講演して頂いた。
2008~2009年度 クラブ活動メインテ-マとして環境保全(CO2削減)について会員の意 向上と実践が採りあげられた。
2009年
6月28日
高槻ロータリークラブ創立55周年記念祝賀会がたかつき京都ホテルで開催された。
2010~2011年度 西田会長の運営方針≪出会い、繋がりの和を大切にしたい≫を基に1年間活動した
2011年
3月24日25日
高槻3RC合同で阪急・JRターミナルで街頭募金を行い95.331円を集める 台北南徳湾RCからの義援金(約200万円)を合わせ 福島県須賀川RCを通して被災地に支援物資を贈る
5月8日 高槻3RC共催(高槻RC発案) 東日本大震災チャリテイコンサート開催
義援金1.056.386円を集め 高槻市を通して被災地に贈る
メイン奏者は高槻RC会員令嬢 濱田新市長へ義援金を託す
2011~2012年度 松尾会長の運営方針≪震災復興への積極的に取組む、またクラブ組織の強化と活性化をはかる≫を基に1年間活動した 
2012年
10月5日
6日
盛岡西RCの紹介を受け現地視察し、大槌町の仮設住宅600戸に浄水器を贈りました(高槻RCから30万円・地区より200万円の補助)
5月6日
~10日
クラブ組織強化への取組が実り会員数は5月に50名となり、またバンコクで開催されたRC世界大会に総勢17名が出席
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