現在旧跡のみ残っている高槻城はクリスチャン大名として有名な高山右近の居城です。
右近は1553年に生まれ、高槻に1585年まで住み、城内に教会を設けてキリスト教の布教に非常な努力を払いました。徳川家康によりキリスト教が禁止され、1614年長崎からマニラに渡り、翌1615年に、63才で彼地で死亡しました。その間マニラでは国賓待遇を受けていました。また、熱心なクリスチャンということだけでなく、有数な兵学家で特に築城技術に秀で、茶道でも千利休の七弟子の一人に数えられ優れた文化人でもありました。
このバナーは右近の羽織と定紋を表し、かつ高槻の『高』を図案化したものでもあります。
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